【ナチュラルメモリーズに寄せて】

1999年。私が初めて、写真を展示するサイトを開設した際、自らの作品に対して、以下のような想いを綴りました。

私が、写真によって伝えたいことは、撮影した瞬間の私の感動。
光をデバイスに蓄積するときの私の感動を、その生成物たる写真を通して感じてもらいたい。
光以外の、風、音、空気、温度・・・、そして自然への畏れ。
そういったものから成る私の感動を、あなたに感じてもらいたかった。

そもそも写真とは、時、空間を共有した者同士(あるいは、それが時、空間を共有した自分一人でもいい)が再び、時、空間を疑似共有できるように、脳に閉じこめられている思い出を引っぱり出す、いわば “しおり” の役目でしかない、と私は思っている。

写真それ自身は決して主役ではなく、あくまで思い出が主役なのである。

ならば、時、空間を共有していない者に、その “しおり” だけを見せて、思い出を共有することができるのか?

今の私の技術では、答えは “否” である。
展示してある写真を見て、あなたが感じる感動は、私が感じたものの、ほんの一部分だろう。

それでは、私の写真を見てもらうことに、全く意味がないかいうと、そうでもない。
写真を公開することによって、副産物が得られた。
写真を通して、私の人となりを表現する術が得られたことである。

私が撮影した写真によって、私とはこういう人間だということを、僅かながら送出することができた。

近い将来、私が作った “しおり” が、あなたと私に共通の感動を味わわせてくれる時がくると確信している。

人である限り、あなたも必ず私と同じ古い記憶をDNAの中に持っているに違いないから。

 
そして今、改めて自分の作品への心構えを問い直してみると、7年を過ぎても、この想いが変わっていないことに気付きました。
このサイトの名前には、その想いを込めました。

「Natural Memories」

作品に対する「自然との思い出」は、私一人だけのものでは、ありません。
あなたにも、あなただけの「自然との思い出」を感じてもらえるような作品を提供し続けたいと思っています。

そして、あなたが、

今日は一つ前の駅で降りて、春の空気を感じながら、歩いてみようかな。
夏休みは、久しぶりに麦わら帽子をかぶって、子供たちと蝉とりをしてみようかな。
この金木犀の香りが、どこから漂ってくるのか、探してみようかな。
今日は天気がいいから、富士山を見に、あの丘へ登ってみようかな。
・・・

私の作品が、あなたが自然を感じるために何かを行なう、そんなきっかけになれば。

そう願っています。

2007年1月1日 瓜生 剛


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